気まぐれ社長コラム No.51「アイデンティティと愛国心と多様性」
- 兎澤直樹
- 7月10日
- 読了時間: 7分
*この記事は弊社ドットコネクトの学生アルバイトに配信している「気まぐれ社長コラム」の内容(2025年6月10日)を抜粋して掲載しております。
今日は、「アイデンティティと愛国心と多様性」について考えたいと思う。
今日の話は、若い世代には嫌われやすい、あるいは意見の分かれる微妙なテーマかもしれないが、今これが物凄く大事になっている局面にいると感じているので書く。
今の社会はこれによる分断やののしり合い、時にはだまし合いや戦争、詐欺なども横行している。
度重なる増税、急速に進む少子化(出生数は70万人割れ)、財務省解体デモ、戦争、トランプさんの関税、お米の騒動、古古古米の販売と小泉進次郎をヒーロー扱いするマスメディア、移民問題、外国人による犯罪と不起訴問題など、これらを考えていかないと、いったい世の中で今、何が起こっているのかを掴めないだろう。
それより前だと、LGBT理解増進法なんというものもあった。僕はこれで完全に自民党支持を止めた訳だが。
これら全てに今日のテーマが深く関わっているのだ。
大事な情報はもうテレビなどのマスメディアにはほとんど出てこない。驚くほど意図が介在している。
とにかく何が正しいのかが分かりづらい世の中になっている。
また、7月に控えている参議院議員選挙が近くなってきて、各政党とも、1万円給付とか、色々言い出している。
誰が信用できるのか、誰に自分は共感できるのか、誰に投票したらいいのか、大学生だと特にまだ分かりにくいと感じないだろうか。
僕なりの経験から、これらをどんな目で見ているかを紹介したい。
大切な視点は、自分や相手のアイデンティティと多様性だ。
多様性は行き過ぎるととんでもないことになる。LGBT理解増進法がまさにそれだ。多様性が大事だと言いすぎて、マイノリティに配慮しすぎた結果、生物学的男性が女性風呂に入ってくる恐怖を身体的女性が泣き寝入りするしかなくなったりする恐れもある(というかあった)。
多様性と言うと耳障りは良いが、単に少数派の意見を強引に通すために利用されたりするのだ。
僕は大学生のときに留学経験がある。そのときに色々な国籍の人たちと接した。
なんとなく欧米人を前にすると、ひるんでしまいやすい自分がいたりした。なんか、フランス人とかの方が優位になっているような気がしたのだ。
これは劣等意識が自分にあるのだと思った。僕の勘違いもあるかもしれないが、アジア人は、なんとなくフランス人とかから下に見られているような気がしたのだ。
でも同じ人間だと思いなおし、僕はそこまでひるまず色々な国の人たちと関われた。
その留学のときに僕が学んだことは、「真の多様性は、自分自身がしっかりとしたアイデンティティを持つことから始まる」ということだ。
どういうことかと言うと、多様性って要するに、相手の立場や意見を尊重するということに他ならないが、自分と相手の価値観の違いを感じることができないと、相手の価値観を尊重なんてできない訳だ。
自分はこういう人間だけど、相手は違うこういう人間。だからこそ自分と違う相手を認め、尊重する心。それこそが多様性の本質的な意味ではないかと感じたのだ。
だから僕は、自分が日本人であることに誇りを持ち、堂々と「自分は日本人である」という気持ちで接した訳だ。
一方で、相手は日本人ではない。相手は相手の国籍や育った環境があるから、当然、思想も宗教も価値観も違う。
自分と相手は違う。その当たり前に気づくことが、相手を尊重する第一歩なのだと。
しかし世の中を見るとどうだろう。LGBT理解増進法なんて、その必要性を主張する人は、身体的女性の立場を蔑ろにしていないだろうか。
彼らは多様性を盾にしているにも関わらず、一番多様性とは真逆のことをしていると思わないだろうか。
僕はそのことに大きな矛盾を感じた。実際、本当にマイノリティの方々の多くはこの法律は不要。危険だと言っていた。当事者じゃない人たちが、意図をもって騒いでいたのだ。
これは一例に過ぎないが、今起きていることをきちんと理解するには、アイデンティティと多様性は欠かせない視点になってきている。
同時に、愛国心だ。
この言葉は君たちも嫌いかもしれない。僕も大学生のときに聞いていたらかなり違和感だったと思う。
だけど僕は、外国を旅すればするほど、日本という国が本当に他に類を見ない優れた国だということを実感してきた。
そして、この国が本当に好きになったのだ。誇りを持てるようになったのだ。
誰かが財布を落とせば当たり前に渡してあげたり、ゴミ箱がないのに街中や電車の中がきれいだったり、自分のゴミじゃなくても気づいたら拾って捨てられたり、ものづくりや建設現場で一切の手抜きをしなかったり、困っている人がいれば相手が誰であろうと親切に対応したり、約束をきちんと守ったり、命がけで誰かを助けたり、自然や物を大切にしたり。
そういう躾が、ほとんどの家庭で当たり前にされている。
自分たちの所有物じゃないからと、平気で奪ったり、人を意図的に傷つけたり、自分だけ得しようと他人を出し抜いたり、そういうことが元来できない民族なのだ。
こういうことは、海外では必ずしも当たり前ではないのだ。日本人として誇りを持っていい部分だと思う。
もちろん、日本人にもダメなところはあると思うし、悪い人が一定数いるのは事実だ。それでもトータルで言えば素晴らしい国だ。
ではなぜ、日本には他国にはなかなか無いような、そういう素晴らしさがあるのか。
その根源的な由来は何なのか。日本人は何者なのか。僕は僕なりにこうじゃないかという仮説は持っているが、こういうことはぜひ、君たちもこれから自分なりに研究するといい。
今、素晴らしい歴史、文化、精神性を持つ日本が、着々と奪われようとしているように感じている。
今起きているあらゆる出来事が、そう思わせてくるし、そういうことをする政治家、役人、マスメディアの報道姿勢などを見ても、かなりの危機感を持っている。
日本がなかなか経済成長できていないという危機感というよりは、この国自体が数十年後あるかどうか危ういと感じるくらいのものだ。
あまり君たちを脅かしたくはないが、今目を向けるとそっちに行きかねないのだ。
僕が会ってきた優れた経営者たちの多くは、日本人であることに誇りを持ち、愛国者たちが本当に多かった。
お米も、夫婦別姓も、LGBT法も、増税も、しれっと決まった遺族年金制度の改悪も、全て繋がっているのだ。
僕が最近思うのは、日本をどんどん苦しめる方向に政治を進める人たちには、反日か、あるいは愛国心がないんだなということ。アイデンティティもない。日本人としての根本がないのだ。無なのだ。
日本人大学生は奨学金を借りて、後で返済が必要だが、中国人留学生には1人1000万円支給していたことも最近発覚している。こういう特定層にごまをすりたい政治家たちによって、好き勝手やられているのは、僕らがきちんと意志を投票という形で示さないからだ。
この国は、10代~40代くらいの比較的若い世代の投票率が上がらないと、人口ピラミッドから言って、テレビばかり観ている高齢者世代の票数に遠く及ばないのだ。
必ずしもいきなり票数で上回らなくてもいい。無視できない存在になることがまず第一ステップとして大事なのだ。
投票に行かなければ、政治家たちは基本的に全く相手にしないのだ。彼らにとって存在しないのと同じなのだ。ますます好き勝手だ。
小泉進次郎がこのままいけば、彼は次の自民党総裁(つまり内閣総理大臣)になるかもしれない。
彼が本当にこの国を良くしてくれるだろうか。考えてみよう。
選挙前は政治家の言うことは絶対に信用してはならない。政策だってあてにならない。日本人はこれまでさんざん騙されてきたのだ。政治家たちが言っていることではなく、「これまでやってきたこと」を見るべきなのだ。
P.S.7月の参院議員選挙は今後の日本の行く末を決める上で非常に重要な選挙だ。きちんと投票に行ってほしい。分からなければ色々と情報収集してみてほしい。君たちの今後の生活や、将来の子どもたちの暮らしに直結してくるのだ。
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