*この記事は弊社ドットコネクトの学生アルバイトに配信している「気まぐれ社長コラム」の内容(2024年9月13日)を抜粋して掲載しております。
君たちは、自分の家の「ルーツ」というのを知っているだろうか?
どんな家柄だったのか、何をしていた家だったのかなどだ。
そこまで分からなくても、日本には戸籍制度があるので、誰でもある程度までは遡れるし、戸籍を見なくても、君たちのお父さん・お母さん、おじいさん・おばあさんに話を聞いたり、家系図が残っていたり、過去帳などもあるだろう。
君たちにおすすめなのは、時間があるうちに、自分の生まれた家のルーツを興味を持って少し調べてみることだ。
それだけで、ご先祖様に感謝の念を抱きやすいし、今の時代を生きていることと、子々孫々、何かを引き継いでいくことの大切さに気付くだろう。
僕も過去に少し調べてみたことがある。
写真に載せるが、一応、家系図のようなものもある。
古い文書も残っていて、何十年か前にそれをお寺かどこかで現代語訳してもらったらしいが、その翻訳の文字ですらもはや現代人の僕らでは難解だ。笑
まだ父方の祖父が生きていた頃、一人で祖父に話を聞きに行ったこともある。
「兎澤」という苗字はそれなりに珍しい苗字で、名刺交換したときなどによくルーツを聞かれる。特に経営者は、そういう歴史好きな人も多い。
そのときに、何も自分のルーツについて話せないのも微妙というのもあり、調べた話を端的に伝えると「若いのにそういうことちゃんと把握してるんだなぁ」みたいに、勝手に良く思ってくれたりもする。笑
ちなみに「兎澤」は、もともと武家で、始まりは滋賀県の近江八幡のようだ。
元々は「佐々木」と名乗っていたらしい。滋賀の佐々木といえば知っている人は知っている武家だ。
宇多源氏(第五十九代宇多天皇の第8皇子・敦実親王の子孫)、宇多天皇の玄孫である源成頼の孫・佐々木経方を祖とする一族が「佐々木」で、後に保元・平治の乱、治承・寿永の乱をはじめ、その後の源頼朝の挙兵に従軍して戦功を挙げ、鎌倉幕府に重きを成している。「兎澤家」の先祖はその流れなのだ。
戦国時代、滋賀県の近江八幡から秋田に移り、ある戦ののち、「兎の里」と言われる地へ移ったらしい。そこから、「佐々木」から「兎澤」という苗字になったと書いてある。
さらにそこからは、秋田県にあった尾去沢町(おさりざわまち)の歴代町長に2人、名前を連ねているのが残っている。
ちなみに家紋は「隅立四つ目結紋(すみたてよつめゆいもん)」と言って、宮本武蔵と巌流島で闘ったと言われる佐々木小次郎とも一緒だ。宇多源氏の中でも佐々木氏は特に近江源氏あるいは佐々木源氏と呼ばれて繁栄し、各地に支族を広げた。目結紋系を持つ家系は佐々木氏族の末裔と言われるが、兎澤家もこれだ。
僕から見て、18代まで遡ってご先祖様の名前が分かっている。
これって凄いことだと思っている。前にも話したが、20代遡れば「2の20乗」で100万人を超えるのだ。自分の命はそうやって繋いできてもらったものなのだ。名前は分からなくても、それが事実なのだ。
僕は写真の家系図のようなメモ(僕の祖父の弟さん(まだ健在)がルーツを調べている僕に書いてくれたもの)を、もう10年間くらいずっと自分の財布の中に入れている(あまり財布は持ち歩かなくなったが笑)。
せめてご先祖様を大事にして、「僕の体を使って何か願いを叶えてください」という気持ちなのだ。
君たちも、学生のうちでもいいし、社会人になってからでもいいから、調べてみたらどうだろう。そして、そこで感じたことを大切にしてほしい。
新しいテクノロジーや流行りの情報をどんどん取り入れていくのはとても大切なことだが、人間にはやはり軸というか、格というか、そういう自分自身の芯を作るものがもっと根底的な部分で大切で、その軸や格になり得るひとつが、この自分のルーツだったりするのだ。
僕もいつか、「兎澤家」ってこういう家なんだよということを子ども達に伝えたいし、君たちも君たちの家のことを君たちの子ども達に伝えてあげてほしいと思う。するとその子にもひとつの軸や格ができるかもしれないのだ。
P.S.まずはお父さん、お母さんに「うちって家系図とかってあるの?」と聞いてみよう。なければ作ることだってできるし、少しお金はかかるが行政書士とかに頼むとそういうサービスもあったりする。
Σχόλια